第2回目は、「シークレット・サンシャイン」をご紹介します。韓国映画の紹介が続きます。人間の心の闇の部分を引っ張り出してきて、見た人に「ほら、あなたにもあるでしょ、この黒い気持ち」と突き付けてくるところが、癖になります(笑) 辛辣な感情のやり取り、予想しなかったストーリー展開、救いようのないラスト(※作品によります)、中毒性あります(*’ω’*)
この作品は、2007年カンヌ映画祭で最優秀女優賞を獲得。チョン・ドヨンさんは私と同世代。おでこが広く、独特な「凄味」のある女優さんです。「下女」、「男と女」の2本見ました。チョン・ドヨンワールド、頭に残りますね。
「シークレット・サンシャイン」は5年前に鑑賞しました。時間経ったわりに、ストーリーが残っています。どうしてか、わかったんですよ。監督がイ・チャンドン氏でした。前回ご紹介した「バーニング」の監督(いやー鳥肌、)。ずっと前から心をつかまれていたみたい。
劇中、宗教が頻繁に出てきます。「信じる者は救われる」の言葉通り、信じるって強いエネルギーの反面、信じられなくなった時(目が覚めたとき)、詐欺にあったように全否定、これまで捧げた時間を返せという気持ちでしょうか?怒りのエネルギーが大爆発。深く心酔せず、浅く捉えていたら、ここまで失望しないですむんでしょうが。バッドエンドでなくて良かった、良かった(ネタバレ)。
あらすじ:シネ(チョン・ドヨン)は、幼い息子を連れて亡夫の故郷へと移住します。周囲へのちょっとした見栄から「不動産を持っている」とウソを話してしまいます。これが悲劇の事件の引き金になり、息子は誘拐されてしまいます。
愛する家族を失い、絶望感からシネは宗教に救いを求めます。彼女に好意のある自動車修理工場のジョンチャン(ソン・ガンホ)は、信仰心もないのに入信し、不安定なシネを支え続けます(いじらしいです)。
シネは憎い加害者と対面し、許すことで自分の魂は救われると考えます。しかし、加害者もまた刑務所の中で、信仰の道へ進み「自分は神に許されました」と穏やかな表情を浮かべ、目の前に座っていました。激しく動揺し、神への怒りから信仰への忠誠心が一気に破壊されます―
この作品を見て、神という存在のあやふやさを感じます。信じる人の心が作りだすもので、神様は一人ではありません。それぞれの人に、それぞれの心が作った自分だけの神様がいるんです。自分仕様の、都合の良い神様が。シネにはシネの信じる神様が、加害者には加害者の信じる神様が別々にいるんですよね。
私は時々神頼みをします。どこの神社、お寺と決まっていません。気が向いたら、お祈りするだけのカジュアルなものです。特定の神様を決めずに「祈る」いう行為で、気持ちが晴ればれするなら、それでいいのです。
気持ちの良い習慣を持つことが、信仰そのものではないでしょうか?「毎朝ジョギングをする」、「野菜たっぷりの朝食を食べる」、「寝る前にストレッチをする」など。続けていれば、本人にとっての信仰になっていくと思います。
それにしても、ソン・ガンホさん、不器用で一途な男性の役が似合いますね。ラストに救われました。